南関競馬の2つの地元

わたしにとって南関競馬と言えば、なんといっても浦和競馬である。元々JR東浦和駅近辺に住み、子供の頃は家族でピクニック等に訪れた。開催のない時には内馬場が開放され、自由に遊ぶことができ、今でも変わらない面だ。

 

昨年(2017年)の春、久々に内馬場を訪れたが、わたしが子供の時と比べかなり整備されていた。もちろんオーロラビジョン等はなく、ただの空き地のようであったと記憶している。

 

浦和競馬場_内馬場

 

また高校の時は川口まで行かなければならず、正門前や馬場先通りを通っていた。その頃は競馬自体が嫌いだったので、馬運車等を見れば「けっ、邪魔だよ」と思っていた。ところが人は変われば変わるものである。邪魔だと思っていた時から数年後、ワクワクしながら浦和競馬場へ赴いた。

 

思い出となれば、1992年のしらさぎ賞である。まだ薄暗い2号スタンドが健在で、第2次競馬ブームの頃だった。おそらくアラブのレースもまだ実施されていたと思う。ゴール前に陣取りレースそのものを直に目にし、ハナ差決着の迫力に圧倒された記憶がある。

 

最後にドコドコッと見澤の馬が追い抜き、表彰式で彼の若かりし頃の姿を目にした。地元埼玉の出身で当時ですでに浦和の第一人者。昨年引退してしまったが、ちょっと物足りない感じが出てきたことは確かだ。

 

浦和競馬場_ゴール

 

また500円の指定席を使ったこともある。今ではもうないだろうが、薄暗い2号スタンドの上階にあった。料金が料金だったので、いかにも昔ながらの競馬ファンというオヤジたちが、ワンサカしていたと思う。

 

さすがに地元。ここ何年も開催日に行ったことはないが、南関チャンネルの映像を見る度、上記のことなどが脳裏を過ぎる。イッタイッタのガチガチ馬券。浦和の名物のように思っていたが、最近では少し違う傾向があることも確かかもしれない。

 



 

しかし、南関競馬の思い出は浦和競馬ばかりではない。個人的にはもう1つ大井競馬がある。忘れもしない2013年のハイセイコー記念。これまでの人生で最高に儲けたレースになった。

 

1着のブラックヘブンはすでに競走馬登録を抹消されているが、2着に入ったドラゴンエアルや3着のジュリエットレターは7歳になった今でも、現役のままである。時折レースで見かけると、投票していなくてもつい応援してしまう。

 

それだけ2013年のハイセイコー記念が心に残り、おそらく一生涯忘れることはないだろう。もっともハイセイコーと言えば、大井が産んだ名馬であり、第一次競馬ブームの立役者である。

 

また第二次競馬ブームではイナリワンが登場し、オグリキャップやスーパークリークと共に、平成の三強と呼ばれた。平成の御代も終わりを迎えるため、三強の呼び名も歴史の中に埋もれていくのだろう。

 

果たして第三次競馬ブームが起きた時、またも大井出身馬が牽引して行くのだろうか? そうなって欲しいと思うのは、わたしだけではあるまい。

 

大井競馬場_4号スタンド

 

さらに浦和競馬をほったらかして(笑)、最近は大井競馬場へ赴いている。昨年秋頃から開催毎に、少なくとも一度は大井競馬場へ訪れている。実は90年代の終わりか00年代の始めに、当時の友人に誘われナイターへ行ったことがある。

 

モノレール駅へ下りた途端、独特の匂いがし、結構な人並みの中、門を潜って真っすぐ行くと馬場が見えた記憶がある。昨年、大井競馬場へ行き、その時は北門から入ったのだと確信した。

 

久々に大井競馬場に着いた時、何とも清々しい感じがした。JR大森駅から歩き正門を抜けた。ハイセイコー像を横目にまっすぐ行けば、100メートル標識付近が見える。

 

海が近いからだろうか? どこなく風の感じが異なり、広々とした感覚がある。老若男女誰しもが楽しめるような、そんな雰囲気もあった。首都東京が関わっている競馬。ピンボケな言葉かもしれないが、そこには首都のプライドがあるようにも感じられた。

 

大井競馬場_正門前

 

わたしなりに思うのは、大井の見所は最後の直線である。とりわけ外回りコースでは400メートル近くの距離があり、ゴロッと着順が変わることもある。JRAの直線勝負に劣らないレースの面白さがある。

 

以前に行っていたとはいえ、昨年秋に久々に訪れ、瞬く間に気に入り、一目惚れしてしまった。近々また、大井には観戦しに行く予定だ。良い思い出ができれば。そう思っている。

 

出身地のよしみから、浦和は育ちの地元である。だがもう一つ、気持ちの地元として大井がある。これからも2つの地元を中心に、南関競馬を見つめて行きたい。