枠連 それは伝統の馬券 競馬小話 (三)

枠連。
それは伝統の馬券であり、
歴史を刻んだ証でもある。

 
 

「へえ、今日が2回目かい。一人で来たのは初めてかい。そりゃ、わからねえこといっぱいだ」

 

年配男が言った。

少ししわがれた声で、カーキー色の作業服を着込み、帽子の縁から白いものが見えている。銀色の棚に肘を掛け、顔を横に向けていた。

 

目の前には若い女がいる。脱色した長い髪を後ろで束ね、季節に合わせたように、黒い大きな伊達眼鏡を掛けている。白いジャケットと共に着こなしたピンクのブラウスが少し目立ち、二人の背は同じ位だった。

 

「専門紙の見方も分かりませんし、特に馬券の種類がどうもよく分かんなくて。けど、お馬さん走るの好きなんで・・・」

年配男が微笑んだ。

 

馬場の埒と向かい合った投票所の出入口は突き抜けであり、二人の頬に静かな風が当たった。男の後方も突き抜けで、公園の一角が見える。投票所内には揚げ物や煮物の香が漂い、専門紙を握った老若男女の姿が三々五々している。

 

「初心者じゃ、しょうがねえやな。馬柱もちっこくて見にくいしな。けど、今時だとなんだ、ウマ女っての? お姉さんもそうなりたいんだろ? だったら、きちんと勉強しねえとな」

若い女が、はあと言いながら、専門紙に目を向けた。

 

「これ、分かっかい? この矢印みてえの? これね、脚質のことだよ。脚質ってね、その馬の走りの特徴ってかなあ。前の方にあると先行型。要は先に走るのが得意ってこと。逆にあると追い込みだから末脚。ああ、末脚はね、最後のスパートが得意ってこったな。

ここのコースにはちょいと直線が長くなんのがあるからね、こういう馬は注意だな。けど先に行っちまって勝っちまう馬も多いから。その点はパドックとか見て、決めるしかねえやな」

 

若い女が目を丸くし、通りのいい声で言った。

「おじさん、詳しいですね。さすがですね。お父さんより当てるかも」

「なあに、そんなことねえよ。下手の横好きだよ。ただ長いだけだよ」

がはははと笑い、しわがれ声が響いた。

 

大井競馬場-公園

 

「お父さんて、いくつだい?」

「48だったかな? 25の時に私が生まれて、競馬場に連れて行かれたことがあります」

「じゃあ、競馬は結構ベテランと言えば、ベテランだ」

「第二次競馬ブームから始めたとか言ってましたよ」

「ああ、あん時は武が凄かったかんな。今のほれ、菜七子フィーバーだっけ? あんなもんじゃなかったよ」

 

「おじさんは何時頃から始めたんですか?」

「昭和40年代かなあ。ハイセイコーが好きになってからだかんなあ。考えたこともねえなあ」

「超ベテランですね、それじゃあ。お父さんより全然凄い!」

「そうかい? そんなこたあねえよ」

再びしわがれた笑い声が響いた。

 

年配男が言った。

「ちょいと喉乾いたなあ。飲みもん買ってくるよ。ビールでいいよね。もう飲めるでしょ」

年配男が近くのスタンドへ行き、2つの大きな紙コップを持ってきた。若い女がショルダーバッグから赤い財布を取り出そうとしたが、年配男が断った。

「喉乾いたついでだから。馬券代にとっときなよ。これも何かの縁だよ」

若い女は満面の笑みをこぼし、美味そうに紙コップを口にした。

 



 

年配男のコウギは続いた。本命対抗の見方や距離別での順位、さらに減量騎手や連対馬体重のことまで説明した。若い女は時折年配男の顔を覗き、ふふうんと言った感じで耳を傾けていた。

 

二人は銀色の棚に専門紙を広げ、両肘も乗せていた。柱に近いところには、紙コップがいくつか重ねられている。お互いに上機嫌になったのか、時折大きな笑い声も出た。

 

「よし、じゃあ、次は馬券の種類だな。まずは単勝。これは分かるな? 1着馬を当てる馬券。次に複勝。これは1から3着までに入る馬を当てる馬券。そして枠連。ここからが競馬らしいな。1・2着に入る枠の馬を当てる馬券だ」

 

若い女は相変わらずふふうんとしながら聞き、年配男が熱くなってきた。

 

「枠連は、おれの一番好きな馬券だな。これしか買いたくねえな。昔っからある馬券でな、伝統馬券だよ伝統馬券。いつだったかな、枠連のゾロ目当ててな、マンシュウ出てよ、その金使って飲み歩いたっけ。おっとゾロ目分かるかい? 同じ枠の馬が来た目だよ。5-5とかだよ。

マンシュウ分かるか? これは万馬券。払い戻しが1万以上になる馬券。あん時は500円位買ってたな。あとで特券にしときゃあ、良かったと思ったよ。特券てのは1000円馬券のこと。今じゃあ、特券窓口も見かけなくなったよなあ」

がはははと声を上げ、若い女も頬を赤らながら、にこやかな顔をして見つめていた。

 

すると年配男が銀色の棚を叩いた。タンッと乾いた音が響いた。

「よっしゃ、次のレース、枠連で買ってやろう。百聞は一見に如かずだ」

 

大井競馬場-4号スタンド

 

年配男が食い入るように目を動かした。棚の専門紙には9Rの文字が見える。近くのモニターもチェックした。9Rのパドック映像が映っていた。若い女はまじまじとした瞳で、年配男の姿を観察している。

パドックでは騎乗命令が掛かり、騎手たちが各馬へまたがった。年配男がマークシートに黒塗りを付け、若い女と共に券売機へ向かった。

 

先に現金を投入し、マークシートも挿入した。しかし馬券が出て来なかった。訝しげな顔をしていると、券売機横の窓から中年女の声が聞こえてきた。

「枠連買えませんよ」

「どうして? ちゃんとマークしたよ」

「いえ、それでもダメなんですよ」

「どうしてだよ? なんでだよ? ちゃんとやってんのに、ひでえじゃねえか!」

年配男が語気を荒げた。若い女が側でじっとし、ジロジロ目を動かす人も出てきた。

 

ビールがけしかける。

「アンタね、おりゃあ、何年も通ってんだよ。昔っからのファンなんだよ。アンタ知ってっか? ハイセイコー。ありゃあね、名馬だよ。♪これから始まる大レース、なんてあってね。すごかったねえ、フィーバーだったねえ。その次がなんと言ってもイナリワン。

こいつも強かったよ。なんせ天皇賞勝ったんだよ。中央の春の天皇賞だよ。おりゃあね、悪いけど、ここに誇りを持ってんだい。汚えなりでもそれっ位のプライドあるんだい。そんな奴でもね、買い方変わったら、勉強するさ。そりゃそうだろ、遊びだって金かかるんだよ。

当たらりゃあ、金入るんだよ。そんな奴がよ、マーク間違えるかい? 第一、今まで間違えたこたあねんだよ。どうしてだか、きちんと訳を言えよ。納得できねえよ」

年配女が窓から顔を見せ、呆れるような表情で言った。

「このレース、7頭立てなんですよ。枠連、売ってないんですよ」

 

場内放送が流れた。

「ただいま発売を締め切りました。ご投票ありがとうございました」

 

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